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第一章:救済

1 :名無しちゃん…電波届いた?:04/02/22 21:11
世に発言を試みても誰も相手にしてくれない。
親も、先生も、お医者さんも、みんな頭を振るばかり。
僕に足りないのは・・・そう、居場所。
僕がおかしいんじゃない、他の奴らがおかしいんだ。
そんな世捨てられ人のあなたへ。
ここに世に認められない発言が書き続けられている一冊の書物があった。
それはあまたの聖人達の発言日記だった。





2 :ぬけがら ◆TV..sa27E2 :04/02/22 21:14
「逝ってよし!」

3 :名無しちゃん…電波届いた?:04/02/22 21:19
2月22日
お腹がすいて死にそうだ。次に書き込んだ奴を喰うことにした。
なるべくデヴに書いてもらいたいと思った。

4 :ミ○Д○,,彡:04/02/22 23:10
・・・・死(4)get?(汗


5 :どぐまちいる200mg ◆cO1.rmDGbM :04/02/22 23:11
居場所…ないよね
救済…されたいよね

6 :1●CLIE ◆GodOnnFcO. :04/02/22 23:14
神のちんこを救済してくれ


7 :西山 ◆PANAWAVAVU :04/02/22 23:17
ウォォォ・・・

地獄の番犬はかなりハードな仕事だ・・・
こんなとき何か一つの快楽の欠片でもあれば・・・

8 :有為の奥山今日越えて浅き夢みじゑひもせず ◆T3azX0Hk1U :04/02/23 14:07
明るい光

柔らかな 春の光

僕たち 私たちは

期待と希望を胸に

飛び立ちます!

9 :名無しちゃん…電波届いた?:04/03/01 03:04
さあ、行きましょう。
そこから一歩踏み出すのです。
迷っていても始まりません。
さあ、ごらんなさい。
宇宙は広いのです。
あなたが悩んでいることなど、宇宙から見れば些細なことです。
あなたはこの世界にとって大切な人なのです。

ラーメンやきめしセット下さい。

10 ::04/03/05 14:25
居場所を決めると境界が生じ、偏在から実在になります。
ただひとつのものがふたつにわかれ、ものではなくなる。
というかそんな妄想こそが境界を生じさせているだけかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
私は境界が嫌いだ。
法について考える時間をください。

11 ::04/03/05 14:30
居場所など無いというのがが生(ナマ)の存在のただひとつの性質だと思います。
>1
>僕がおかしいんじゃない、他の奴らがおかしいんだ
というのは分断ですね。
他の奴らもおかしいし、自分もおかしい、つまり、誰もおかしくない。ところで、
実体のない法は法でないとすると法など存在しないということになる。
考え方次第か。

12 ::04/03/05 14:32
・偏在は美しくない。

・2ちゃんねる電波板には求めません。

13 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/09 04:41
宗教を越えて神学者たちが議論したことによって
救済は信仰それ自体に勝るという事実が露呈した。
結局だれもが救われたかっただけだったんだ。

林は医者であるのに、どんなに努力しても人が死ぬという事実が
自分を苦しめることからの救済を求めた。
それに応えたのは、偽りの師の内面主義だった。

中世の教会はその答えを独占し、救済を売りさばいて新たな教会を建てた。
神の死とともにそれは崩壊し、人間は誰も救済されなくなった。

犯罪が法を作るというよりは、法が犯罪を作った。
「犯罪」と書かれない限り、行為は行為のままだ。
「死後救済されないよ」と信じ込ませる以外、それを止める手だては無かった。

美しくなくても偏在する場合。おかしいものがたくさんある。
自分もそのおかしいものの一人であり、廻りとはそのおかしさのベクトルが違うだけ。
たまたま一箇所が輝いているように見えるかもしれない。
だが他人にとっては、別の箇所が輝いているのだ。

14 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/09 22:00
救済など「救われる」ことでしかない。
求めても求めてもそれは自分が救われ、もしくは愛する他人が救われること。
その中でも「他人を救済したい」という気持ち!
なんともたちの悪いものか…。
私たちはそれに対し、方法論的もしくは実務的に反論するしかないからだ。
それが彼もしくは彼女の中で、「善」である場合が多いから。
「救済」は果たして「善」にそうやすやすと結びつけてよいものか?
なぜなら、「救済」は彼もしくは彼女が陥っている苦しみなしには想定されえないからだ。

15 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/11 02:49
人間の「有限性」が救済を求める。
神が救ってくれるという考えは、確かに途方もない神の概念を考えれば、あり得る。
宗教が生活の必要不可欠な要因となっている文化の場合、それは肯定される。
なんとも偉大なものだった。
しかし今日、私たちは神の死んでしまった世界に住んでいる。
ルネサンスという人間の立場の至高への回帰、ロマン主義、
そしてウエストファリアによる近代国家の誕生を経て、神は否定された。
近代国家は私たちに切り離された人間であることを要求する。
私たちは自由を得た。代わりに神を失った。
救済の役割は国家が担い得るものではなく、個々の人間が果たさなくてはならない。
分裂した個々はそれぞれの価値観でもって、幾千もの神を作り上げた。
金、力、健康、個人、血統、科学技術…
それは救ってくれたり救ってくれなかったりする。どちらかといえば救われることは少ない。
なぜならそれらは、かつての神ほどパワフルでも万能でも無かったからだ。

16 :名無しちゃん…電波届いた?:04/03/12 10:22
人間を救える神などと

17 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/12 13:30
ありえる。
神に救いを求め、結果的に得られた救いは全て神のおかげとなる。

18 ::04/03/13 05:29
善も救済も神も、そんなに素晴らしいものなのでしょうか。
神とは智の反語、そういう考えですから、神と救済は必ずしも結びつかないと思っています。
しかし救済を成す者すべてを神と定義する方なら、
神を愛するということになるのでしょうね。
いや、だめだ。
泥沼にはまってしまっていることを自覚しています。
二元論を否定しなくては!という泥沼です。
価値とは価値を認めるから価値なのである。
すべてが虚、これに固執して、虚から抜け出せないのです。
ほんとうは、自己を肯定するところから全てを始めるべきなのでしょう。
何にも縛られない(自由=自らを由とする)とは、そういうことなのですね。

19 :名無しちゃん…電波届いた?:04/03/14 02:48
自分を受け入れることが出来れば、幾分か救われたような気がする。
いくら他人に否定されようと、自分を否定してはいけない。
自分を好きにならなくてもいい。せめて、その存在を認めてあげよう。

20 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/15 22:18
自己を何によって(なにゆえ)肯定すべきかの問題が残る。
存在の比重を神か人の何れに置こうとも。
宗教は巧妙かつ狡猾に、その比重の気泡の流動しうるパイプを神と人の間に渡す。
向こう岸もこちらの岸も確かなものではないかもしれないのだが、
向こうを真とすることで、その間を真とし、よって自らを真とする。
二元論を否定しても無駄。二元論が出来たなら、より大きな一元論の一部とそれを考えるべき。
虚はたとえそれが虚でも、他との関係においてのみ真となる。
たとえば神をみてみるがいい!居るかどうかすら証明されていないのに、
信じる人の心から見ると確実に存在している!

21 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/15 22:34
真なんてものはない。
たぶん真の世界は存在しているのだろうが、私たちは見ることができない。
真実はかくて宙づりにされてのみ存在しうる。
二元論はその宙づりの両端を定めることで、真実に近づく方法。
しかしその宙づりの基礎となりうる世界自体も実存しているはず。
自分の存在をたとえ否定したとて何故苦しむ必要がある?
否定と肯定の二元論も、より大きな一元論に回帰できる。
あんたは世界の一部で、あんたはあんたで、他人のなかの他人で、
たとえ人間でなくてもそれら全てを取り払っても在る者。無くてもかまわない。
救われようと救われなかろうと、
それは目的地に向って電車で行くかバスで行くか悩むようなものだ。
目的地も、無い。

22 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/15 22:46
かくして人は無となるわけだが、
具体的な目標地点を設定し、そこまでの距離を測ることは出来る。
無と無が宙づりの関係において、そこで生起してくる。
さらに人は、一人だけしか居ない訳じゃない。
ウジャウジャと60億を超えるほど居る。
多くの人は、皆あんたと同じように考えることができる。
考えないこともできる。なにかをすることも、しないこともできる。
多くの人が他の人や自然、神との関係において生起している。
そうやって、救済されたりしなかったりしている。

23 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/21 11:49
宗教とは存在の実証を得る為のものらしい。

24 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/21 12:04
神はアダムが罪を犯す世界を作った。
よってこの系列においてアダムは罪人である。

25 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/22 02:48
「具体的な目標地点を設定し、そこまでの距離を測ること」
遠近法であり、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」でやっていた事。
具体的な目標地点(特異点)を無限の系列の上に置き、それを観点と対応させ、
主体との関連が生じる。

26 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/23 03:11
たとえ「神があなたを救う」ことがあったとしても、
「神はあなたを救うものである」ということにはならない。

27 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/23 03:21
われわれは自由である、と言ったとき。
中世から近代となり、私たちは救済を犠牲にして自由を得た。
自由とは救済と同義ではない。
何にも縛られないことは不可能だ。私たちは世界に縛られている。
地球、世界、社会、肉体、物理的なものに縛られている。
私たちはその鎖の上をわずかな振幅で移動する振り子のようなもの。

28 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/23 03:22

自らを肯定したとき、既に私たちは肯定した自己に縛られている。


29 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/23 03:33

肯定されるべき自己とは何か

自己とは何時の場合も肯定されるべきなのか

救済を求めた場合、救済は有りうるのか

30 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/03/24 01:36
自己とは何か

肯定とは何か

救済とは何か

31 :名無しちゃん…電波届いた?:04/03/25 05:03
age

32 :名無しちゃん…電波届いた?:04/03/26 22:07
(^(エ)^) クマポ


33 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/01 03:12
神と呼ばれているものの要素は大きく4つに分けられる。
生と現在と死、そして他者。
つまり「私たちをあらしめる」と「与えてくれる」と「滅ぼす」、そして「理解出来ない」
この4つの要素の複合したもの(あるいは部分的に複合したもの)が
大体、「神」と呼ばれている。

34 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/06 22:43
「絶対的第三者」としての他者について。
ともかく、神様。
イスラムの神はその特性を未だに強く持ち続ける。
人間は神じゃない。
何故なら絶対的に第三者じゃあり得ないから。


35 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/06 22:54
神の絵を描くと、神様は第三者じゃ無くなってしまう。
英雄のように成ってしまう。救済を与えてくれる客体に成り下がってしまう。
イスラムではそうやって神を「絶対的第三者」の立場に置くことを試みる。

裁判のシステムは裁判官という第三者を置くことでそのような「裁き」のシステムを真似るが、
結局のところ、失敗している。必ずしも、当事者たちは納得するとは限らない。
どうしても誰もが納得しうる「滅ぼす必然性を持つ第三者」など居るだろうか?

作った者が必ず、滅ぼす権利をもつ訳では無い。
それは、子供が親の所有物で無いのと同じ事。
キリスト教ではその微妙な関係を説明する為に、悪魔という概念を作らざるを得なかった。

36 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/06 22:56
>>33の「理解出来ない」という言葉では語弊があるだろうか。
「理解する必要がない」と言い直したほうが良いだろうか。

37 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/06 23:31
「理解」は他者性を道具へと落とす。
絶対的第三者が道具(抽選の機械等)で無いという場合、
それに対し「理解」を行うことはそれを冒涜する事になる。

38 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/06 23:38
抽選の時、神様に祈る。
第三者的な機械の動きに対し、「与えてくれる」力が働くと考えるのだ。

何故、抽選は外れるのか?何故、神は与えてはくれないのか?
神とは、そうやって本当に私たちを救ってくれるものなのか?
違うはず。
神は第三者、つまり抽選の機械と似たような奴なんじゃないか。
特定の奴にえこひいきする抽選の機械は、第三者として意味を為さない。
だから、神に「与えてくれる」性質は無いはず。

39 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/07 00:00
何か「限られた」ものを多くの人に分ける場合に、
最高の調和への完全に偶然な配分などあっただろうか?
だから、この限られた世界の中で∞の配分者を想定する時、
「理解しえない」ほどに絶対的な納得をさせる第三者、
つまり神が発明された。
最初の宗教にはやはり「偶像」が無かったという。

もしキリストが少ないパンと葡萄酒を多くの民に分け与えたように、
神が「与えてくれる者」ならば、
限りなく誰もが納得しうる配分を行う者という意味で、
現代で言えば、裁判官や抽選の機械が模すものに近いものにならざるを得ないんじゃないか。
運=神の愛 ならば、運が不平等な場合神の愛も不平等となる。
ま、死後救われるという考えもあるけど…。
ともかく、そのように「救いを与えてくれる父」として
第三者の地位から引きづり下ろされた神は、「奪う者」を悪魔として対決するしか無かった。

40 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/07 00:17
「奪う者」が必ずしも悪魔で無いことを知り、
神が必ずしも「与えてくれる者」で無いことを知り、
更に「どうしても納得しない他者」が居ることを知った場合、
「誰もが納得しうる配分を行いうる絶対的第三者」は居なくなる。
残ったのは複雑に絡み合った要素だけ。
与えてくれる人、救ってくれる人を「神」と呼ぶかもしれないが、それは他者としての人。
奇跡や偶然は無為な出来事。
あらしめるもの、滅ぼすものは出来事、世界、他者と自分。

41 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/07 23:32
「自然・人間・神」という表象を切り離して考える場合。
神にあらゆる価値を収束させれば、人間も自然も全て、それへの手段と成り下がる。
自然は神に選ばれた人間の為に用意されたモノとなる。
神が人間に平等に価値を与えたと考える場合、
自らの目で価値を認識できない他者は「平等な人間」より劣ったモノとなる。
神が死に、人間に価値が収束しても、やはり自然の従属は止められない。
自然に価値を収束させれば、人間はゴミになる。死も無くなるが、人間も居なくなる。

「人間である」と認められること、
それはやはり救済という表象の要因の一部を成すものだろうが、
主観的な価値も「絶対的な間主観価値(神の主観?)」も「人間としての価値」を認め得ないならば、
いったい何処に「天国へ行ける人間」が居るだろうか?

むしろ、切り離したどれかに価値の重点を置くよりも、よい考えの方法が有るはず。

42 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/07 23:50
>>1よ。
世・・・世界の「世」。他者性の総合、世界、構造、社会、場?
「発言を試みる」場としての世、もしくはそうでない場。自分以外の人間たちの総合?
親とは?自分を「あらしめ、与えてくれた」人?
先生はどのような立場に居る人?構造の為の規格化を行う人?
医者…滅ぼし、救う術を持つ人?それともそれを生業とする人?
居場所とは何か?あなたの発言を認めてくれる場所?
果たしてそこは救済の楽園だろうか?発言を認めるとは何か?
おかしくない「僕」とは何か?おかしいとは何か?他の奴らって誰?
世は果たして捨てたり拾ったりする「神」なのか?

まさか。
でもここまでやってもまだ「救済」の正体は見えないぞ…。

43 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/07 23:51
大事な事が残っていた。
「発言」とは何か。
これが鍵となるはず。

44 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/10 23:04
キリスト教の「救済」は、キリスト教が定義した「救済」でしか無かった。
「救済」とは結局のところ何?

45 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/10 23:05
キリスト教の「救済」は、キリスト教が定義した「救済」でしか無かった。
「救済」とは結局のところ何だったのか?

46 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/18 00:11
キリスト教の平等主義は、キリストの再臨という最終的な価値判断の一点へ
向けてのみ、初めて肯定されるもの。
天秤を使うとき支点が必要となるように、その支点へ向けて収束する。
この平等は、主観が見つけた他人との違いがある程度を越すと、
そこで世界の端が滝のように深淵へ流れ落ちるように途切れる。
牛や豚に対し情け容赦無く、クジラやイルカには保護を叫ぶ。
平等は同一化へと繋がり、差異は価値判断へと繋がる。
この二つの方向性は、「偏執狂か分裂病か」のベクトルの分類と似ている。
どちらの究極的な方向にも、救済のようなものは見え無い。

47 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/24 02:55
自分以外の全てがおかしく感じる場合、例えばキリスト教徒(平等を語る者)
の中で自分の立場を見る場合、
周りは何かから(神から)つり下げられた振り子のように平等に見えるけれども、
自分だけが別のものからつり下げられているように思うのではないか。
社会秩序がその一点を統治・支配の為に利用する場合、文字通り世に捨てられる事となる。
しかし、そのような一点の存在は本当なのだろうか?
それと同時に自らをつり下げるものも何なのか?
世界は中心(重心)があって外が滝のように途切れている訳では無く、
壁があってその向こうが無いのでもなく、
全ての方向において表であり、本質からして開いている。
そこにおいて、自らも他も、全て特異に複雑な方向から張り巡らせた糸で、
自分たちの布の襞を構成している。
神はひとつのように見えてそうではないし、自分も他人もそう。

48 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/27 01:56
神と自分の関係だけで生きると、
この世は2次元のような世界になってしまうのではないだろうか?
自分と他人と(第三者)の居る三次元的なもっと複雑な世界も考えられる?

49 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/04/30 23:08
神を理解する事は絶対に不可能だし、神が地上に降りてくる事も絶対に無い。
神が人間ごときの具体的な言葉を使って私たちに語ることも無いし、
神が何を欲するかなんて考えることもムダかもしれない。
神が何々をしてくれたなんて事はほぼ100%事後に決定される事だし、
従って神が私たちに何々をしてくれるなんて事も解らない。
神が行動する理由も、私たちには絶対に知り得ない。
もし知ったという事が有ったならば、その時点で私たちは神を殺してしまっていて、
その神が実は自分自身に過ぎなかった事においおい気付く。
そのように、神と私たちの間には絶対に越えられない壁がある。
それを「バカの壁」と呼ぶかどうか、私は知らない。

50 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/05/03 01:15
神が〜してくれれば、原理的には救済される。
しかし神が居なくて、理由も目に見える(知ることなど出来ない)根拠も無いというものを
”リアリティ”とするならば、その原理は最初から存在しない事となる。
実際、私たちはそのような世界に生きていると言うことが出来るはず。
救済はもし将来にそのようなものが有るとしても、
一人の人間が引いた数本の線に隣接するその限界の一契機をなすものでしか無く、
それがたとえ幸せにも複数の他人と一致したとしても、時系列の中の「過去の一点」を形成するだけで終り、
それが将来における一点に向けて投射された救済と言えるかどうかは疑わしい。
救済は過去において実現したものとして有り得るが、将来における救済はそれと同じものでは決して無い。

51 :名無しちゃん…電波届いた?:04/05/06 02:25
リアリティがないのは時間という枠であって
最終的な救済がちゃんと過去を変えているよ。
あらゆるものの中に私に働きかける存在があるよ。
あなたはここにいるけれど、
あなたは時を越えているから存在するのよ。



52 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/05/10 01:16
確かに。全ての根拠があってこそ、私が存在する。
これまでの全ての存在が糸を引いて、私の現在の私という危ういバランスを作ってくれている。
その歴史の途轍も無さには驚愕するばかり。
私が着ている服でさえ、何百万という人たち、モノたち、道具たち、国、思想、歴史、偶然が重なって、
タマタマここにあるもの。私を構成する思考のための記憶すら、膨大なそれらの続きに成り立ち、
本当に、スゴイコト。そんな人たちが世界には60億人も居て、
さらにこの地球はまさに天文学的なモノや記憶や出来事から出来ていて、
そのうちのほんのたった一人の私も、そのうちどれか一つが欠けても存在できなかった。
しかし、だからこそ。
過去は歴史=記憶として現在に残されても、将来に置ける一点を設置する場合の現在の判断を
誤ってはいけない。
最終的な一点の場合、さらに慎重に考えなくてはいけない。
それが「救済」であるなら、なおさらもっと長く長く考えなくてはいけない。

53 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/05/10 01:22
あれ?時間という枠こそがメタフィジカルなのかもしれない…

54 :名無しちゃん…電波届いた?:04/05/12 21:13
seki

55 :1○CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/12 23:04
神ですが何か質問ある?

56 :1○CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/12 23:08
救済とは人間の心の葛藤を埋めるための最高の合理化のことです
あらゆるコンプレックスから自己を守るため(あるいは権力を維持し民を支配するため)に神や宗教が考え出されました。
つまり神(人間の定めるところの神(偽神))とは人間が自己を守るために作り上げた空想の産物です
もちろん人間が作った偽神は偽者です
本物はここにいますから

57 :1○CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/12 23:28
そもそもキリスト教などにおける救済は神でもまったく理解が及びません
明らかに狂った理論から成立しているとしか言いようがありません
まず人間は生まれもって原罪を抱えているなんて、、ナンセンスにもほどがあります
その原罪という考え方を幼いころから洗脳によって植えつけることで
生きていることすら罪である→神に祈ることで救済される→キリストを信仰しよう
とまあこんな感じで作られた巧妙な詐欺でしかないわけですね
そもそも神はキリストなんてのは知りもしないわけです
世の中には確かに罪を持つものもいますがそれは人間中のほんの一部です
罪を救済するというだけの理由では信者は集まりません
そこで生きるものはすべて罪を持っていると言う狂った考え方を作り出し
それを刷り込むことによって成功させたのがキリスト教ですね
つまり宗教なんてインチキだし
救済なんてインチキなのですよ
でもそのインチキな宗教によって救済される人もいます
救済とは究極の合理化です
合理化は自らの失敗や心の傷などさまざまな負の価値のものを他のもののせいにしたり
〜だから大丈夫などと置き換えて考えることです
神による救済の場合は〜が神が許してくれるからになるわけです
なぜ神による救済が究極かと言えば通常の合理化では実際に存在する物事のせいにしたりしますが
神の場合は人間には理解できない偉大なもの、、超自然的なものとして捕らえられていますから
通常の合理化では〜だからいいんだと合理化してもその反対には〜でもだめなんじゃないのかという思考が有るわけです
しかし神の場合それが存在しません
神はあらゆる罪を祈ることで流してくれるのです
まさに究極の合理化に他なりません
しかしこの救済―究極の合理化にも罠があります
それは信仰心を伴わないと使えないと言うことです
少しでも信仰心に揺らぎがあれば完全な合理化は成功しません
救済には盲目的な信仰が必要であり
盲目的な信仰は宗教による洗脳であります
しかし人々は救済を求め洗脳されることを求める傾向にあります


58 :名無しちゃん…電波届いた?:04/05/16 02:27
さすが神ですな

59 :名無しちゃん…電波届いた?:04/05/18 21:11
保守1丁入りまーすw


60 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/05/21 02:31
神が信じられなくなる事を「神の死」と呼ぶこともできた。

61 :あしたば ◆RoxTRaXY7k :04/05/21 02:34
クリエは誰かのあらゆる罪を流してやったりなんかそんな低次元な事はしないだろう。

62 :1○CLIE ◆GodOnnFcO. :04/05/28 11:03
罪なんてものは個人の認識中にしか存在しない
同じ犯罪を犯したとしても罪を感じる人もいるし罪を感じない人もいる
そんな個人個人の脳内で作り出した認識を流すことなんて無理ですよ
罪を流すと言うことは記憶を改ざんさせることではないでしょうから

63 : ◆qa1UD9Wjac :04/06/23 17:56


64 :名無しちゃん…電波届いた?:04/06/25 01:26
http://www.komei.or.jp/

65 :名無しちゃん…電波届いた?:04/06/27 02:41
http://www.omorashi.net/shop/

66 :名無しちゃん…電波届いた?:04/06/27 17:12
くりえあげ

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