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■宗教を徹底否定・宗教はいらん■

352 :無宗派:04/05/03 21:18
浄土教は法然により「浄土宗」になるわけですが、それまでの念仏が他の行と
結びついた行であり、理論、布施、修行も要求されてたのに対し、念仏だけ
唱えればよい、と救済手続きを簡素にしたもの。私は>>329でいったように
仏教全体を否定してるが、この時点で「浄土宗」は縁起説をとる仏教からも
離れた存在になる。一神教化です。(女性に救済の道を開いたのは評価できる)
これをさらに徹底したのが親鸞。法然は戒律までは捨てなかった。
しかし阿弥陀の他力を絶対とし、自力救済を否定すれば戒律は修行であるから
「捨戒」となる。大乗の基本精神の「上求菩薩」を放棄。大乗からもはずれた
存在に。悪人正機説は鳥獣、魚を殺生する悪事を働かねば生きていけない貧民
を救済、という意味もあるが、人間を過小評価してるのも確か。不完全な人間が
完全な「善」などできないと。
パウロがいった「義人はいない」(絶対の正義の人はいない)によく似ている。
この考えは肯定できない。
ただ親鸞は純粋な人だったと思う。真剣に救済を考えていたとは思う。
また阿弥陀の前では人間は平等であり師弟(上下)関係を否定し弟子をとってない。

弟子はいない、親のために念仏はしない、では教団にならない。蓮如があらわれ
浄土真宗は隆盛をみるが、止むを得ないとはいえ法主を親鸞の子孫ということで
権威付けしたのは親鸞の教えに反する。平等ではない。この点も非難したい。
信長と争う証如のころはさらに強化され法主が破門権をもち、破門した者に
「後生御免」と再び往生を許すなどとされた。人が人の死後を決定する考え方
は宗教といえども許されるものではない。
このころの法主は生き神様的でローマ法王に似ている。
そして現在も門首(西本願寺は門主)の権威付けは変わっていない。

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